私の食生活の悲惨さを知っている方々からいつもご心配をいただきます。
すみません本当に大丈夫です!
最近お気に入りの食事
おむすびと味噌汁
ちゃんと食べてますアピール。米は1.5合が基本。
実家は稲刈りも終わって、新米を食べるのが楽しみです。
うちの米が食べたい人は本気で食べさせます。
ヴィジュアル田植えしたあの稲がもうお米になったとはね~
上京してきたときは炊飯器(実家はガス釜)と水の違いで愕然としましたが、
それでもうちの米はうまいです!米自慢。
重い腰を上げて、やっとメッシュチューブ資材を注文しました。
あとはウィッグなんだけど、これまた気合いがいる…
明日振り込んで、届いたらハロウィンまで日数迫ってるのですぐ製作です。
やっべーファーとエナメルも買ってこなくちゃ。
久々に派手小物作るので楽しみだけど、初めてだからうまくできるか心配。
昨日しみじみ考えていたこと。久しぶりにまじめっぽい。
長くなりそうなので追記にたたみます。
色んな事に挑戦しだした最近。
この夏から秋にかけて人のつながりを身をもって感じました。
家族、アパレルチームのリーダー、先輩たち、学生時代の恩師、
そしてたくさんの人を通して知り合ったクリエーターさんやバーやショップの人たち…
昨日一日時間があいて、ふといろんな人の顔を思い浮かべたとき。
地道にやっていれば誰かが見ていてくれるんだなぁと。
母が「今度あんたが帰ってきたら連れて行く場所がある」という。
そこは私が生まれたとき母が勤めていた会社の社長夫妻のおうち。
なぜ私も?と聞いたら。
私は母乳しか受け付けなかったため、半年間毎日一日2回授乳の為に
仕事を抜けて帰宅することを許してくれたんだそう。
家に帰ると口を開けて待っている私を背負った祖母が外でいつも待っていた。
そして次の年、私の村と家は水害で水に沈んだ。
社長夫妻はご自宅に母と私と兄を一晩泊めてくださった。
私はまだ1歳まもないころだったし全くお会いもしなかったので顔も知らない。
だが母は、「そうやって生まれたときからいろんな人にお世話になったんだよ」と
私が大きくなったら、あの時の娘ですとご挨拶に行くと決めていたらしい。
周りの人の助けがなかったら、私は育ってなかったんだね。
生まれたときから、もう周りの沢山の人の力と優しさを借りていたんだね。
私の知らない陰で一生懸命最善の方法を考えてくれる人たち。
私が迷い沈んでいるとき、何か道を切り開けないかと考えてくれる人たち。
そのことを知ってから、昨日は一日中感謝の気持ちで心がいっぱいでした。
自分は好きなことをただやってきただけなのに、
そんな自分を一生懸命支えて応援してくれる人の存在に気づいた。
感謝することって、時がたつと忘れてしまいがちだけど、
私はこの人たちのことをいつでも忘れたくない。
私に関わってくれた人が、少しでも潤ってくれたらうれしい。
優しくしてもらったなら、今度は誰かに優しくしてあげられたら。
これからどうなっていくかはわからないけど、この感謝が形になるその日まで。
私ができる限りでがんばりたい。
珍しく小学校時代の恩師に電話してみました。春に会いに行った先生です。
この先生はとても厳しい先生でしたが、人間の基礎を叩き上げてくれた恩師。
「どうしたの!?病気でもした!?」とびっくりされてましたが(そらそうだ)
素直に理由を話したら、「先生を思い出してくれたのね、ありがとう!」と。
お礼を言うのはこっちなのに!
最近の状況を話したら「あなたには頭と手がちゃんとある。なんでもできる」と
励まされました。この先生はいつでもストレートに向き合ってくれるので
本当にうれしかった。秋に帰省したらまた会いに行きます。
この夏あたりは悲惨な状況でしたが、がむしゃらに外に飛び出してみたら
世界は素晴らしいことで輝いていたと気付いた。
いつも足元にあるはずなのに、身近すぎるせいで気づかないんでしょうね。
今、世の中では「自分探し」なんて言葉があるように
自分自身が見つからなくて必死であえいでいる人がたくさんいると思います。
何かで思いつめて悩んでいる人がいるとしたら、
自分が一番好きなことは何か考えてもらえたらなと思っています。
私なんか見てみ?頭良くなくて気もきかなくて自分勝手にやっていて
好きなこと、やれることは「洋服を着る」と「物を作る」ことしかない。
それだけで私は今まで別に後悔することもなく生きてきました。
そりゃ凹んだり悩んだり挫折することも多々ありますが、それでも起き上がれます。
自信を持って「好き」と言えることがたったひとつあるだけで。
そのたった一つの小さな「好き」が、大きなエネルギーを持っています。
月並みなことばになってしまうけど、どうか、幸せが循環する世界を願って。
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